Happy Valley Rice Shower「Happy Valley Rice Shower」




空白依存症という音楽ブログの管理人、またはBELONGのレビュアーであるたびけんさんという方がいて、Twitterで独りぶつくさとつぶやいてる中では自分は割とやり取りをさせてもらっているワケですが、そんなたびけんさんが組んでるバンド?ユニット?であるHappy Valley Rice Showerがつい先日アルバムを出したのですが、今から書く感想はそのアルバムについてです。


 


音楽的にはネオアコシューゲイザーグランジ、オルタナ、木/下/理/樹などの影響下ではありますが、少なくともHappy Valley Rice Showerの支柱はGalaxie500に思えます。ともすれば、もしかしたらこれは

そこで君は“ウィ・アー・ネヴァー・エヴァー・ゲッティング・バック・トゥゲザー”でテイラー・スウィフトが歌ったように、資本の後ろ盾を持ったプロフェッショナリ ズムの前ではもはや太刀打ち出来ないという萎えた気持ちを、「お気に入りのクールなインディ・レコード」を聴いて、慰めているというわけだ。

 
の「君」であり、「お気に入りのクールなインディ・レコード」であり、「慰め」なのかもしれない。でもって「萎えた気持ち」。実際そのどれもがそうだと思う。新しい音楽ではない。可能性の音楽でもない。ただこのレコードはもっとこう根が無くて揺蕩う、例えば明確な土台が無くて、様々な音楽メディアからオススメのレコードを掻い摘んで聴いてハマって年間ベストをは発表するような、そんな「何者にもなれない」レコードなんじゃないか。実際はたびけんさんにとってはシューゲイザーが土台なのかもしれないけれど。

かつて10年代の始まり、Twitterを中心に新しい音楽を漁ることはネットレーベルの隆盛もあってか、自分は目を輝かせ、その時流に乗りこんだ。
「このクオリティーの音楽が無料で手に入っていいんですか?!」
今、振り返っても黄金時代と呼べるほど。海外ではミックステープ文化も出来上がってきたし、個人ブログやUstreamといった動画配信サイトもその状況に後押ししたと思う。再び音楽業界は面白くなるんじゃないかという甘い気配もあった。そこから欲望は底を知らずさらに追い求め・・・とまあ、あまり書いてもタナソーの「2014年におけるポップの可能性」がもっと上手に言語化出来てるしいいや。

でも、ネットでもテレビでも新しい音楽紹介しても生半可なことじゃなきゃ結局聴かないんだな。NAVERまとめで新世代のバンドをまとめても、YouTubeを埋め込まれてるくらいじゃそれを聴く体力も精力も持ち合わせてない。この結論は早計かな。早計かもな。
でもって結局、ファッショナブルに過激で、ファッショナブルな上昇志向を植え付けられて、もしくは残響レコード・フォロワーが開き直って、音楽はファッションですなんて言っちゃう時代、Happy Valley Rice Showerの居心地の悪い、弾力のないポップネスは本当癒し…ってこれでは本当、ただ慰めているだけじゃないか。

そんな風にふてくされて全て諦めたくはないんだよ、トム・ヨークだって「奴ら(音楽業界のマス連中)が思うほど、大衆の耳は馬鹿じゃない。聴こえのいいものだけを聞かせて金を巻き上げることが音楽産業だということに間違いはないけれど、許容され得る範囲はもっと広い」って言ってたよ。Happy Valley Rice Showerの居心地の悪い、弾力のないポップネスは慰めとして機能するだけじゃなく、例えばメディアが植え付ける不当な上昇志向を吹き飛ばすような音楽として、いくらだって機能するかもよ。そもそもそんな役割理論ともおさらばできるような「何者にもなれない」レコード。それが「Happy Valley Rice Shower」。



あと「Stay Gold」のギターリフめっちゃ好きです。